2022年8月2日に、米国では通称Burn Pit Bill (直訳:焼却穴制法)と呼ばれている法律の拡大が連邦議会上院で可決され、米国中の退役軍人たちとその家族たちの安堵と歓喜の涙顔がマスコミで数日間報道されました。その群衆のセンターには彼らのために長年啓蒙運動をし続けてきた有名コメディアンのジョン・スチュアート氏が退役軍人たちと共に勝利の腕を上げていました。
この法律は、兵役中に軍廃棄物野外焼却の有毒ガスに連日さらされた結果、病に侵された退役軍人の医療カバーと障害者補償に関するもので、この法律の制定を支持してきたバイデン大統領の著名により正式に成立されました。この法律により退役軍人達は、これまで要求されていた医学的な直接関連(今患っている病と兵役中の損傷や病との関係)のエビデンスを提示する必要なく、医療カバーと障害者補償が受けられ易くなりました。十分なエビデンスが集められず多くの退役軍人患者達は補償を受けられずに苦難の中亡くなる人もいました。
この法律の正式名はSergeant First Class Heath Robinson Honoring Our Promise to Address Comprehensive Toxics (PACT) ACT of 2022 という長いもので、頭文字略称でP A C T とも呼ばれています。ヒース・ロビンソン氏という2020年に39歳の若さで、肺癌で亡くなった退役軍人の名前がついていて、兵役中に兵士たちがさらされてきたさまざまな有毒物質に対して総合的に国が対処することを約束するという意味の法律です。この歴史的な瞬間に至るまでには何十年以上もの退役軍人たちやその家族の苦難と訴えがありました。何日間にもわたって連邦議会議事堂前の階段で野宿をし、真夏の酷暑、湿気、雷雨を耐え抜いてきた退役軍人たちとその家族たちは、この法の成立に頑固として反対する共和党上院議員たちに精神的な圧力をかけて来ました。(共和党議員の一部はこの法により莫大な支出が起きインフレを悪化させるという懸念を反対の理由としてきました。)
https://www.cnn.com/2022/08/02/politics/senate-vote-burn-pits/index.html
この法律の成立により、兵役中に有毒物質燃焼煙に何ヶ月、何年間もさらされ、帰国後にさまざまな種類の癌、呼吸器疾病、眼病、A L Sなど数々の難病を患った約350万人の退役軍人にやっと希望が与えられます。この法律はイラクやアフガニスタンを含む中近東の国々から戻ってきた退役軍人のみでなく、約50年前にベトナム戦争であの悪名高き ”Agent Orange Herbicide (エージェント・オレンジ除草剤)” にさらされた退役軍人たちをもカバーするものとのことです。全米の退役軍人数は約1740万人(2019年国勢調査)ですので、350万人はそのうちの約20%ということになります。ちなみに8年前(2015年)に46歳の息子を膠芽腫という進行性脳腫瘍で失ったバイデン大統領は、Burn Pitの有毒ガスが息子の脳を侵しその数年後には息子の命を奪ったと述べています。その息子さんは2009年に1年間イラク戦争の戦闘ゾーンで戦っています。
A L Sと毒性物質との関連は以前から多くの研究論文でデータ・エビデンスが提示されて来ており、米国のV A Administration(退役軍人行政局)ではその関連性を正式に認識しており、2009年11月にはPresumptive Service Connection (推定的兵役関係)という正式リストの中に含めました。これは兵役と退役帰国後の疾病との直接的関係を推定できるというリストです。
全米各地に散在しているVA 病院 (退役軍人病院)は、A L Sの診断を受けた退役軍人たちに、適切な福利厚生を受けられるよう迅速かつ正確な書類の手続きを指示しています。参考に下記のリンクはC A州ネバダ郡役所のサイトで、その説明を掲げています。
Military Service and ALS are recognized by US VA Hospitals
https://www.nevadacountyca.gov/3511/Health-Conditions-Related-to-Toxic-Expos#anchor6
そのサイトにはVAが認識している有毒な軍環境や兵役が原因の疾病リストが挙列されていて、最後6番目にA L Sが記されています。
- Agent Orange Exposure
- Gulf War Illness
- Burn Pits and Other Airborne Hazards
- Illness Due to Toxic Drinking Water at Camp Lejeune
- “Atomic Veterans” and Radiation Exposure
- Amyotrophic Lateral Sclerosis (ALS) <――――これです!
ALSの団体組織 ALS Associationのサイトでも米国のミリタリー兵役とALSの発症リスク率増加について掲載されています。
米国国防総省(DOD)と国立衛生研究所(NIH)とのファンドによってハーバード大学で2005年と2009年になされた研究調査の結論を記述しており、それによりますと、配属されたブランチ(ロケーション)の違いや服役年代の違いにかかわらず、退役軍人全員がA L Sを発症するリスク率が一般人(兵役体験なし)と比較して2倍も高いというデータ結果だったとのことです。米国ではA L Sがミリタリー病だと言われていることは、こういう統計からも来ているのでしょう。
Harvard University: Studies conducted in 2005 and 2009 by researchers at Harvard University and funded by the Department of Defense and the National Institutes of Health concluded that all military veterans, regardless of branch or era of service are nearly twice as likely to develop ALS.
最近の研究論文で、本人がさらされてきた環境とA L S発症との関係を述べているものにどのような内容があるのか調べてみました。今年5月に権威ある英国科学誌The Lancet誌に掲載されていました。ミシガン大、トリニティ・カレッジ(ダブリン)、キングズカレッジ(英国)、トリノ大(イタリア)、シドニー大(オーストラリア)の研究者達の論文で、「遺伝・環境・時間の相互作用」仮説に基づいたものです。本人が生まれた時から発症するまでの間にさらされてきたあらゆる種類の全てのExposure(曝露)を総和 したもの(Exposome と呼ぶ)が、実はA L Sを発症させる影響力のある重要な決定要因なのではという考え方です。上記の「遺伝・環境・時間の相互作用」仮説は、2018年のN I HのPubMed.govサイトに掲載された複数の大学(マイアミ大、ダートマス大、ジョンズ・ホプキンズ大、トリノ大、N I Hの老人学研究所)の研究者達によっても発表されたもので現在注目を浴びている仮説です。数年前にマイアミ大とニュー・ハンプシャーのダートマス大は、フロリダの沿岸地域や米国東北部ニューイングランド地域のいくつかの湖近辺は、統計的に異常なレベルのA L S発症地(平均の10〜25倍の発症率)であるという発表で世界中から注目を受けました。両地域とも海水や湖水内のシアノバクテリアによるBMAA 毒素の脳内蓄積を原因とするとしています。
Lastly, the exposome—the summation of lifetime environmental exposures—has emerged as an influential component for amyotrophic lateral sclerosis through the gene–time–environment hypothesis. Our improved understanding of all these aspects will lead to long-awaited therapies and the identification of modifiable risks factors.
遺伝的要因(罹りやすい体質)と住む環境(空気、水、土壌汚染など)や食生活などの要因と蓄積する期間の3つの相互作用(遺伝・環境・時間の相互作用仮説)で、ALSは発症するのではという考えがここ数年で広く受け入れられてきているように感じます。同じ環境下で兵役の体験があっても、同じ地域で育っても、病気を発症していない人もいる、あるいはALSと関連する遺伝子変異を持っていても一生発症することなく高齢まで生きた人々もいる理由はそこにもあるのかもしれません。世界中で多くのデータが収集され機械学習(ML)、深層学習(D L)などを駆使して詳細な分析がなされていくと、もっと多くの環境要因と考えられるものが見出されていき、そしてその数々の要因が発症トリガーとなり得るまでの過程、遺伝子、エピジェネティックとの複雑な相互関係が徐々に解明されていくのかもしれません。
Jan 2023 Reported by Nobuko S
Aug 2023 Last edited by Nobuko S