代表理事の畠中一郎は、30年前に駐在していたアフリカのザイール(現コンゴ民主共和国)で勃発した大暴動の渦中に巻き込まれたことがありました。多くの無垢の人たちが惨殺され、自分にも迫る危険をはっきりと意識した強烈な体験は、未だに、畠中自身を後遺症で苦しめています。
最終的には、多くの人たちの努力のおかげで幸運にも無事に脱出することができましたが、その後長い間、畠中を苦しめていたのは
「なぜ自分だけは助かったのか?」
という疑問でした。
同様の体験や自然災害から逃れ、九死に一生を得られた方々の中で、精神のバランスを崩す人は少なくありません。畠中もその例外ではありませんでした。
そんな泥沼から何とか這い出すことができたきっかけは、
「きっと自分は何か重要なミッションを負わされたに違いない。そのミッションを達成するために自分は助け出されたに違いない」
と、自分自身に暗示をかけたことでした。
強烈な不安の淵から逃れるために、畠中自身の必死の「ミッション探し」が始まりました。30代、40代、50代と様々なチャレンジを繰り返す中、大変有意義な体験だと感じながらも、自分の「ミッション」だと確信できることはありませんでした。
2021年夏、畠中は突然ALS (筋萎縮性側索硬化症)と診断され、人工呼吸器を付けなければ余命3-4年と宣告されました。ALSの診断と余命宣告に、これまでのどの体験とも全く異なるインパクトを受け、”THE END”、”GAME OVER”という言葉が脳裏をかすめましたが、一方で不思議と絶望感に襲われることは無かった、と語ります。
なぜなら診断後「これから与えられた時間を使って自分に何ができるか」と考え、辿り着いた一つの答えが「難病やその他障害に苦しむ患者やその家族を支え続けること。」だったからです。
これが、畠中がこれまでの人生を振り返り、全身全霊をかけて取り組めるまさにライフワークとして導き出した「私のミッション」でした。
一般財団法人「すこやかさ ゆたかさの未来研究所」設立のプランは、2021年夏にこうしてスタートしました。
病気の進行によって、身体機能を失う患者本人の不安はもとより介護する家族の困難が大きいこともALSをはじめとする難病の特徴です。
私たちは、進化し続けている最先端技術の活用や、畠中が長く取り組んできた事業の機動的な仕組み作りを活かすことで、患者や家族を様々な形でサポートし、闘病にポジティブに向かえる環境づくりができるのではないかと考えました。
そしてこの試みが広く知られ世間に定着すれば、高齢化が大きな社会問題になりつつある今、身体の不具合を抱えながら生活しなくてはならない多くの人々にとっても、希望を与えるものと思っています。
私たちは、様々な分野から広くアイデアを募り、多くの方の支援を通して実践に移すための受け皿として財団設立を目指すことになりました。