京都大学の山中伸弥教授(当時)らは、2008年にiPS 細胞の作製に世界で初めて成功し、2012年にノーベル医学・生理学賞を受賞されました。現在山中先生が名誉所長・教授を務めていらっしゃる京都大学iPS細胞研究所(CiRA(Center for iPS cell Research and Application)サイラ)ホームページ(注1)の掲載情報をもとに、iPS細胞技術研究の現状とALSとのかかわりについて、2回にわたりレポートします。今回はiPS技術編です。
1. iPS細胞とは
iPS細胞とは、「人工多能性幹細胞」とよばれ、英語では「induced pluripotent stem cell」と表記され、頭文字をとってその名がつけられました。iPS細胞は血液や皮膚などの体細胞(注2)にごく少数の因子を導入し、培養することによって、様々な組織や臓器の細胞に分化する能力とほぼ無限に増殖する能力をもつ多能性幹細胞に変化します。体細胞から多能性幹細胞に変わることをリプログラミングといいます。
iPS細胞に先立つ技術として、ES細胞(embryonic stem cell:胚性幹細胞)がありました。ヒトES細胞を使い、人間のあらゆる組織や臓器を作り出すことにより、再生医療の可能性が期待されました。しかし、ES細胞は不妊治療で使用されずに廃棄予定の受精卵を用いるものの、受精卵を壊すことに抵抗感をもつ人もあって、ES細胞研究に規制をかける国も少なくない状況でした。山中教授はES細胞の遺伝子に注目し、数多くの遺伝子の中からES細胞に特徴的に働いている4つの遺伝子(Oct3/4、Sox2、Klf4、c-Myc)を見出し、2006年にマウスの皮膚細胞にこの遺伝子を導入、培養し、リプログラミングが起こることを確認しました。2007年には人間の皮膚細胞に4遺伝子を導入し、ヒトiPS細胞の作製に成功したと発表しました。
2. iPS細胞技術の進展と将来展望
CiRAは2010年に「iPS細胞の医療応用」という使命のもと設立されました。設立時の大きな目標であった臨床用iPS細胞の樹立はすでに達成され、様々な疾患においてiPS細胞を用いた細胞治療の臨床試験が行われており、また、疾患iPS細胞を用いた病態解明や創薬も着実に進んでいる状況であり、2030までの目標として以下の4つを揚げています。
(1) iPS細胞ストックを柱とした再生医療の普及
(2) iPS細胞による個別化医療の実現と難病のための創薬
(3) iPS細胞を利用した新たな生命科学と医療の開拓
(4) 日本最高レベルの研究支援体制と研究環境の整備
これらの目標達成のためには、より多くの方に安心して使ってもらえる細胞にすることが必要であり、第二世代、第三世代のiPS細胞を作り出すための基礎研究も進められています。例えば、がん化の可能性を高めると考えられたc-Myc遺伝子をL-Mycに変更したり、当初、遺伝子を体細胞に導入するために用いられていたウイルスベクター(注3)は細胞が持つ、もとの遺伝子を傷つけがん化を引き起こすと言われていたため、エピソーマルプラスミド(注4)に変更するなどです。
新聞記事(注5)にて、iPS細胞技術のバージョンアップが紹介されています。現行技術では、数百~数万個の血液細胞からできるiPS細胞はわずか数個で、偏った細胞に変化するなど「クセ」のあるiPS細胞ができやすく、何度も作り直して性質を確認する必要があり、大量の培養皿や培養液を消費しています。これに対し、CiRA高橋 淳所長は、「iPS細胞を治療に必要な細胞へと変化させる時に大部分が安定して目的の細胞となるもの」の作製を今後3年間の目標に掲げています。有望視されているのが、「ナイーブ細胞」と呼ばれるクセの少ないiPS細胞です。CiRA准教授高島康弘先生は、すでに作製に成功しており、カギは培養液の配合で、従来のiPS細胞よりさらに受精卵に使い状態を維持できる成分を含んでおり、細胞の性質のばらつきが少なくなるとしています。さらに高島准教授によると、培養液の酸素濃度をあえて低く抑えると良質のiPS細胞ができると説明されています。また、CiRA教授斎藤博英先生は、新型コロナワクチンで注目された遺伝物質のRNAを人工合成して使い、初期化の効率を向上させる研究を進めておられ、「初期化を終えるまでに約1か月かかっていた培養期間が半分の2週間で済み、少ない数の細胞からiPS細胞ができるようになってきた」と述べられています。
また、この記事では、iPS細胞などによる再生医療と遺伝子を体内に入れることで病気を治す遺伝子治療との融合による、新たな医療の実現についても記載されています。一例として、iPS細胞から作った細胞を患者に移植する際、細胞の生着を促すような遺伝子治療を同時に行い、治療効果の向上を図るとしています。また、現在iPS細胞は、「健康な人」から作り、何度もチェックして凍結保存していたものを使っていますが、将来的には拒絶反応が起きない「本人」からのiPS細胞使うことが理想的であり、そのためにも作製効率や品質の向上が必要であるとしています。
本年4/12付けにて、「医療用のiPS細胞を患者本人の血液から自動的に作製する技術を、京都大iPS細胞研究財団(京都市)とキヤノン(東京)が共同開発した。来年の実用化を目指している。全自動の装置が完成すればiPS細胞の作製費用は大幅に抑えられ、再生医療の実現が加速しそうだ。」との新聞記事があります(注6)。従来の手作業での作製では専用施設の整備や維持、技術者の人件費などのコストがかさみ、1人分の作製に約4000万円かかるとされました。キヤノンなどが開発した方法では、血液から赤血球など不要なものを取り除き、残った細胞に遺伝子を導入。できたiPS細胞を増やして回収するまでの約20日間の工程を自動化する。年内にも全自動の装置の完成を目指す。人の手が必要なのは血液や試薬のセットと、iPS細胞を回収した容器を取り出す作業だけとなり、品質の安定が期待できるとのことです。臨床試験などを行う大学や企業に対し、作製した、iPS細胞を提供し、患者に移植することを想定していますが、財団は、この技術開発を「my iPSプロジェクト」の一環として進めており、1人あたりのコストを「100万円程度」に下げる目標を掲げているとのことです。
****次回は、iPS細胞技術とALSのかかわりについてレポートします。
注1 京都大学iPS細胞研究所HP https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/
注2 体細胞とは、生殖細胞以外のすべての細胞を指す。例えば、神経、筋肉、内臓などを作っている細胞のことをいう。 AstraZeneca HP乳がんJP https://www.nyugan.jp/heredity/aifaq/qa018.html
注3 「ウイルスベクター」は、ウイルスが細胞に入り込む性質を利用して、目的遺伝子を細胞内または核内に導入するウイルス由来の運搬体のこと。 国立成育医療研究センター 遺伝子細胞治療推進センター 遺伝子細胞治療 一般向け参考資料 https://www.ncchd.go.jp/center/activity/gcp_center/wakaru_gct.pdf
注4 導入する遺伝子が導入先の細胞のゲノムに組み込まれない非ウイルス性のベクター。自律的に複製するプラスミドであるエピソーマルベクターを用いることで、細胞のゲノムに遺伝子を挿入することなく、細胞分裂に伴って導入遺伝子が複製される。iPS細胞の作製の際、初期化因子の遺伝子の導入にレトロウイルスベクターを用いると、遺伝子がゲノムに組み込まれ、挿入変異が生じて癌化のリスクが大きくなる。だが、遺伝子の導入にエピソーマルベクターを用いることで、導入する遺伝子が細胞のゲノムに組み込まれないため、癌化のリスクを抑えられるようになる。 日経バイオテク キーワード エピソーマルベクター https://bio.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/011900001/16/11/02/00068/
注5 読売新聞オンライン 京大所長らに聞く 次世代「iPS」で最新治療2024.02.16
https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/feature/CO049294/20240215-OYTAT50012
注6 読売新聞オンライン iPS細胞の全自動作製、2025年にも実用化…京大財団・キヤノンが技術開発 2024.04.12
https://www.yomiuri.co.jp/local/hashtag-kyoto/CO072596/20240412-OYTAT50028/
2024年4月27日 報告者 橋口 裕二