画期的な新規医薬品を日本の患者さんに届けるための取り組みが始まっています
米国では、‘22年FDAが5か年計画を策定し、ALSを含む神経変性疾患への有効で安全な治療薬の開発を加速するための取り組みが実行されています。日本では、ドラッグ・ロスが顕在化してきており、今後米国で開発されるALS治療薬の中で、日本の患者さんが使えないものが出てくる事態も懸念されます。2023~‘24にかけて、様々な検討会が開かれ、ドラッグ・ロスの原因分析と対策が検討されました。2回にわたり、これについてレポートします。今回は前編:ドラッグ・ロスの現状とその原因についてのレポートです。
1. ドラッグ・ロスとは
ドラッグ・ラグという言葉は、ご存じの方も多いと思います。ドラッグ・ラグとは「海外で承認された新薬が日本で使えるようになるまでに、長い時間がかかってしまう問題」(注1)と説明されています。近年、ドラッグ・ラグに加え「ドラッグ・ロス」がクローズアップされています。ドラッグ・ロスとは、「欧米などの海外ではすでに使われている治療薬が、日本では開発着手されていない、つまり製薬企業に開発する予定がなく、利用できない状態のこと。」(注1)と説明されています。この問題は、新規医薬品開発の担い手がグローバル製薬企業から、海外のバイオベンチャー企業にシフトし、世界同時開発が難しくなってきたこと、海外からみた日本医薬品市場の存在感の低下と、日本独自の規制などが原因と考えられています。これに対し、2023~’24にかけて、厚労省などの主催で多くの検討会が開かれ、矢継ぎ早に対策も発出されています。米国FDAは‘22年にAction Plan for Rare Neurodegenerative Diseases including Amyotrophic Lateral Sclerosisを公表し、’26年度にかけて、毎年$100Mを拠出し、ALSをはじめとする神経変性疾患の安全で有効な治療薬の開発の加速、新治療へのアクセスを容易にするなどの取り組みを実行しています(注2)。本HPのALS世界ニュースにも、その成果がいくつか報告されていますが、これらの取り組みのもと、米国で開発されるALS治療薬が日本の患者さんに届けられるためにも、ドラッグ・ロス対策はとても重要なものです。
2.日本のドラッグ・ロスの現状とその原因
(1)ドラッグ・ロスの現状
日本経済新聞によれば(注3)、23年3月時点でのドラッグ・ロスは86品目で、小児用の品目が37%、希少疾病用の品目が47%、新興企業の開発品目が55%を占める(重複を含む)としています。新興企業(ベンチャー企業)の主な開発品目は、新規モダリティ製品と呼ばれるものです。厚労省主催の「第8回創薬力の強化・安定供給の確保等のための薬事規制のあり方に関する検討会」(以下第8回創薬力検討会)資料(注4)にて、新規モダリティ製品は以下のように説明されています。
‐ 新規モダリティとは、画期的な新薬を生み出すための新たな創薬技術のこと。例えば、再生細胞医療、遺伝子改変細胞、遺伝子治療、核酸医薬品、抗体薬物複合体、バイスペシフィック抗体(2つの抗原に同時に結合可能な抗体)、腫瘍溶解性ウイルス/バクテリオファージなど。
/新規モダリティのうち、再生細胞医療 遺伝子治療 核酸医薬はドラッグ・ロスが既に顕在化しており、さらに拡大すると予想されている。
/’14年~‘23/7月にて、海外で承認された新規モダリティ71製品のうち、日本におけるドラッグ・ロス製品は25品目(35%)、対象疾患としては、希少疾患が56%、がんが20%で、ドラッグ・ロスにより深刻な影響をうける患者数(深刻度A:適応症に対する薬物療法が存在しない。深刻度B:既存薬より効果の高い薬を使えない、の合計)は58000人と想定される。
/将来予測として、現在欧米でPhase3あるいは承認申請中の137品目のうち、102品目(75%)がドラッグ・ロスとなり、希少疾患が30%、がんが35%となると予想されており、ドラッグ・ロスにより深刻な影響をうける患者数はおよそ300万人に上ると想定される。(例えば、米系ベンチャー企業が開発中の、REACTは再生細胞医療技術によるもので、自家細胞を活用し腎機能を保全することにより、日本で透析を受けている糖尿病性腎症患者127,888人の透析を不要とする可能性を持つ)。(データはいずれも‘23年7月時点)
【報告者注】
昨年承認されたSOD変異を有するALS患者さんの治療薬トフェルセン、現在開発中のFUS変異を有するALS患者さんの治療薬ウレフネルセンはいずれも核酸医薬品(これまで狙えなかった疾患原因である遺伝子自体に作用し、疾患を根源的に治療しつつ副作用も低減するもの)。いずれも、米国カリフォルニア州に本社を持つアイオニス社が創薬したもので、それぞれ、米国バイオジェン社、日本の大塚製薬が権利を取得しています。
(2)ドラッグ・ロスの原因
① 医薬品開発主体が大企業からベンチャー企業へシフト、日本独自の規制による国際共同治験参画の遅延
●新規モダリティ製品の開発主体は海外のベンチャー企業
東京財団政策研究所(注5)から、新規モダリティ製品開発(創薬イノベーション)は、小規模なバイオテクノロジーベンチャー企業によって行われており、2015年から2021年の間に、米国で承認された医薬品の約65%がこれらの企業から生まれ、主要製薬会社のパイプラインの72%がライセンス供与や買収(M&A)を通じて外部から調達されたものであった。この傾向は今後も続くと予想されており、フェーズ1臨床試験の新規開始件数の66%がバイオテクノロジーベンチャー企業によって行われている。一方で、21世紀の初めには、リスクを伴うバイオ製剤の開発に挑戦する日本企業はほとんどなく、日本が取り残される形で新しい世界市場が発展していった。日本のバイオテクノロジー企業から始まる新規臨床試験は全体のわずか4%に過ぎない、と報告されています。
●日本独自の規制による、日本の国際共同治験参画の遅延
日本経済新聞によれば(注3)、「ベンチャー企業は、第1相、第2相臨床試験は自社で行った後、大手製薬企業が権利を引き継いで国際共同治験を行うようなケースが増えている。この国際共同治験に日本も参加していれば、日米欧ほぼ同じタイミングで承認を取得して発売できるが、参加しなければドラッグラグ・ドラッグロスの原因となる。従来の通知では、国際共同治験に参加する前に日本人での安全性を確認するための第1相臨床試験の実施が原則として必要とされてきた。その際、国際共同治験の前に日本人での第1相臨床試験が必要とされると、国際共同治験の開始が遅れるし、場合によっては日本を外して国際共同治験を実施する判断もあり得る」と報告されています。
国際共同治験に参画するために自国・地域での第1相試験を実施した件数がまとめられています。米国は国際共同治験30件に対し1件、EUは42件に対し1件、日本は60件に対し62件となっています(注6、製薬企業38社に対して2023年6月8日~30日に行ったアンケート結果、対象は2021年以降に、初回申請のために国際共同治験を実施した品目)。
* 令和5年12月25日付け厚労省通知にて、海外で臨床開発が先行した医薬品の国際共同治験開始前の日本人での第1相試験は原則不要となっています。これについては、後編にて詳しく報告します。
●ベンチャー企業による第3相臨床試験の増加と日本の試験参画の少なさ
日本経済新聞によれば(注3)、「かつては大手製薬企業が中心だった第3相臨床試験も半分近くが新興企業によって行われている。以前は多額の資金を要する第3相臨床試験の前に大手製薬企業と契約して開発権を渡すケースが多かったが、より後期の開発まで自分たちで行った方が企業の価値が高まるため、新興企業が開発の主役になりつつあるわけだ」と報告されています。
日本製薬工業協会より、‘16~’20にかけて、ベンチャー企業により行われた日本未承認の悪性腫瘍治療薬21品目の国際共同治験への各国の組み入れ数が報告されていますが、「米国は全て含まれ、欧州主要国も15品目程度は組入れられていたが、日本はわずか3品目であった。アジアでは韓国(8品目)が最も多く、シンガポール、台湾、中国、香港に次いで日本は6番目の品目数であった」としています(注7)。
前出の日本経済新聞からの報告(注3)では、「ドラッグ・ラグは待っていれば薬が日本に入ってくるが、ドラッグ・ロスは待っていても薬が入ってこない。そもそも新興企業は日本のことなど気にしていない。日本を開発対象国に含めてもらうにはどうすればいいのかを考える必要がある」との米国の医薬品開発の現場を知る医師からの発言も紹介されています。
② 日本市場の存在感の低下、「日本対応」の要求
前出の東京財団政策研究所からの報告(注5)によれば、「日本の製薬市場は‘80年代初頭には、世界市場の25%以上を占め、ヨーロッパの市場の合計を上回っていた。しかし、その後の30年間で中国に追い越され、’23年には、日本のシェアは世界市場の4.4%にまで低下し、ドイツ市場とほぼ同等になっている」としています。
第8回創薬力検討会の資料(注4)によれば、「新規モダリティ製品開発者からみた日本の医薬品市場は、開発~上市に要する必要投資額が高ぶれする一方で期待収益が低く、他市場よりも見劣りする」として、以下のような点が指摘されています。
●必要投資額が膨らみがち
/臨床試験に対応可能な施設が少なく、治験実施コストが高い
/国内で新規モダリティに対応できる製造技術を備えたCMO(Contract Manufacturing Organization、製造受託機関)/CDMO(Contract Development and Manufacturing 、製造開発受託機関)が不足し輸送費がかかる
/地理的要因から原材料/製品の輸送コストが高くなりがち
/エコシステム*が未熟で基礎研究~創薬技術確立に必要な投資が高ぶれ
*エコシステムとは、アカデミア(大学、研究機関等)やスタートアップ(ベンチャー企業) の早熟な技術シーズを実用化につなげる環境および仕組みのこと(注8)
/新規モダリティの前例が少なく、かつ優先審査指定のハードルが高いため、 審査期間が長期化
/日本語仕様・日本人データの要求等、「日本対応」が必要
●投資回収が困難
/人口要因や遺伝子検査未浸透などにより、市場形成しにくい
/特有の付加価値やコストを加味した評価制度がなく、他国に比し薬価が見劣り*
/特許期間中なのに薬価が下げられるリスクがある
*日本の参照価格(同じ治療カテゴリー内の既存の薬に基づいて新薬の価格を設定する仕組み)や、日本の比較的低い薬価が他国(例えば、韓国や台湾)での価格決定に影響を及ぼす可能性は、海外のベンチャー企業だけでなく、グローバル製薬企業にも日本参入の優先度に悪影響を与えていると報告されています(注5)。
これらに対し、矢継ぎ早に対策が発出されています。次回は対策編をレポートします。
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注1 FUJIFILM ~未来をシェアするWeb マガジン~ Reading keywords
海外で使える新薬が国内では使えない!? 深刻化する「ドラッグ・ラグ/ドラッグ・ロス」とは。
注2 ALS NEWS TODAY FDA Shares Plan for ALS, Other Neurodegenerative Diseases | July 1, 2022
注3日本経済新聞 新薬が日本素通り「ドラッグロス」 官民で回避を 2024年6月5日
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC311T40R30C24A5000000
注4「第8回創薬力の強化・安定供給の確保等のための薬事規制のあり方に関する検討会」資料 https://www.mhlw.go.jp/content/11121000/001207145.pdf
注5 東京財団政策研究所 「日本のドラッグロスとドラッグラグ:現状分析と再生への提案」
July 3, 2024 https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=4523#_edn3
注6 行政から見たドラッグラグ・ロスの課題と取り組み 日本製薬工業協会 第143回医薬品評価委員会総会 https://www.jpma.or.jp/information/evaluation/symposium/bbh7c90000001esq-att/2023_11_17_01.pdf
注7 ドラッグ・ラグ:なぜ、未承認薬が増えているのか?医薬産業政策研究所政策研ニュース 2022.7月https://www.jpma.or.jp/opir/news/066/03.html
注8 新薬を生み出し育てるライフサイエンスクラスターとは 医薬産業政策研究所政策研ニュース 2020.3月 https://www.jpma.or.jp/opir/news/059/07.html
2025年1月26日 報告者 橋口 裕二 @P-ALS